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長崎県立西彼杵高校第六十五回卒業式式辞 平成二十七年三月一日 式 辞 角力灘からのやわらかな風が、春の息吹を運んでくる今日この佳日に、西海市副市長竹口一幸(かずゆき)様をはじめ、多数のご来賓の皆様、並びに保護者の皆様のご来席を賜り、ここに、長崎県立西彼杵高等学校、第65回卒業証書授与式を、かくも盛大に挙行できますことは、誠に光栄であり、喜びに堪えません。心から御礼を申し上げます。 ただいま、ここに卒業を認められた、六十二名、一人ひとりに、卒業証書を授与いたしました。卒業生の皆さん!心を込めて、君たちの門出を祝福します。 保護者の皆様におかれましては、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。まだ中学生のあどけなさを残す瞳に、不安と希望を宿して、本校の校門をくぐってから早三年、これほどに凛々しく、たくましく、成長されたお子様の姿をご覧になり、感慨も一入のことと拝察いたします。この三年間は、保護者の皆様に取りましても、お子様への期待と不安の絶えない日々だったことでしょう。時には心配で眠れない夜もあったのではないかと思います。いつも暖かく見守り、励まして来られた甲斐あって、今日ここに、立派に高等学校普通科の課程を修了し、いままさに社会に旅立とうとしているお子様の姿は、何より輝いているのではないでしょうか。心より、お祝いを申し上げます。 卒業生の皆さん、いま皆さんが手にしている卒業証書に、どれくらいの重みを感じているでしょうか。 皆さんがこの西彼杵高校に入学してからの三年間を振り返ると、実に様々なことが思い起こされることでしょう。 一年生の頃の、勉強や友人関係などでの悩みや不安、二年生の中堅学年としての部活動や生徒会活動での苦労や充実感、そして三年生の最高学年としての、進路の目標に向かってのたゆまない努力と達成感。その苦しみや喜びのどれもが、君たちを大きく成長させてきました。夏の体育祭では、リーダーとして応援合戦や集団演技を見事にまとめ、素晴らしい大会となりました。そして何より、今年の秋の文化祭での、君たちが心を一つにして歌った「大地讃頌」の大合唱は、いまだに耳に残っています。さらにフィナーレでの、君たちが中心となって、一年生から三年生までの全校生徒が肩を組み、歌った校歌は、何よりも素晴らしく、感動的なものでした。これこそが、一人ひとりの青春が、仲間と共に謳歌されるという西彼杵高校の象徴でありました。まさに65回生は、本校の新しい歴史を、確かに刻み込んだと云えるでしょう。このような君たち各々の、高校三年間の青春は、きっと生涯において、かけがえのない財産となるはずです。 また、君たちが決して忘れてはならないのは、陰に日に、見守り、支え,励まして下さった、保護者や地域の方々、そして先生方の思いです。このような多くの方々の思いもまた、その卒業証書には重ね合わされていると云うことです。いま手にしている卒業証書の本当の重みを、しっかりと受け止めて、感謝の気持ちを忘れないで下さい。 さて、今日の卒業の日にあたり、皆さんに一つの詩を贈ります。 人間とは常に人間になりつつある存在だ これは、谷川俊太郎という有名な詩人の「成人の日に」という詩です。成人式に充てたものではありますが、今日「自立への旅立ち」を迎えた皆さんにとって、これからの社会を生きていく上で、大切なことを伝えてくれているように思うのです。 今年は、戦後70年の節目の年にあたります。いま日本は歴史的な転換期にさしかかっていると云えるでしょう。 人類の平和と共存が希求された二十一世紀も、未だに、人と人とが殺し合う悲惨な争いが絶えません。残虐非道なテロ事件は後を絶たず、国同士の紛争も各地で起こり続けています。またグローバル経済は、さらに加速度的に進行しています。もはや我が国だけが単独で経済活動を営むことは不可能となっています。 一方、国内に目を向けても、東日本大震災の悲劇は、我が国のこれまでの価値観を根底から揺さぶり続けています。何が正しくて、何が偽りなのか。これまでの「真」と「偽」の価値は、激しくしかも厳しく問い直されているのです。 君たちは、このような激しい価値の転換期において、まさに社会に旅立つことになります。この混迷した二十一世紀の日本を、そして郷土を担っていく使命から、逃れることはできません。 もうすぐ選挙権年齢が十八歳に引き下げられることになるでしょう。その意味でも、この高校を卒業することが、大学進学も含めて、本当の意味で社会に旅立つことになるのです。君たち一人ひとりの意思が、この日本の明日を決定していくことになります。このことへの自覚は、どんなに誇張してもしすぎることはないと私は思っています。この西彼杵高校で学んだことを基盤に、更に学ぶことを続けていかなければなりません。 本当に学ぶことの意義が問われるのは、むしろ卒業してからです。自分自身の、自立した、社会を見る目を、しっかりと育て、行動していかなければならないのだと思います。 「他人の中に、自分と同じ美しさをみとめ、自分の中に他人と同じ醜さをみとめ」るということ。他者の美しいところ、良いところをみとめ、尊び、自分の醜さ、至らなさを認めて、〈誠実〉に改めるに努力していくということ。これが自分が「自立」し、他者と「共生」すると云うことです。そのとき、人は一歩ずつ、人間に成る道を歩きはじめる。 「生きる」とは、「人間になる」ための道を歩き続けることだ、とこの詩人は云います。そのためには、「とらわれぬ子どもの魂」のように、純粋で、たくましい理想を求める心で、「いまあるものを組みなおし、つくりかえるのだ」とこの詩人は云います。 既成の価値観に縛られず、付和雷同する多数者の意見に流されずに、〈己に打ち克〉って、確かな感受性と、どこまでも自分自身の「希望の灯」をかざして、真っ直ぐに歩いてほしいと思います。愚直でもいい。ゆっくりでもいい。真っ直ぐに歩いてほしいと思います。 理想と現実のせめぎ合いの中に、「生きる」ことの本当の意味があります。どんな苦しみの中でも、「希望」の灯をかざして、〈気迫〉をもって、たくましく歩き続けるところに、人間が人間と成る道があるのではないか。そのときに「生きる」本当の喜びもあるのだと思います。 どうか、本校の校訓にあるように、〈誠実〉に、〈克己〉を忘れずに、「明日への希望」に、〈気迫〉をもって、立ち向かっていってほしいと思います。明日に向かって、人間が人間と成る道を歩いて行ってほしいと願っています。 どの教室の窓からも、海の見える学校。それが西彼杵高校です。三年間の間、毎日見続けた、この角力灘の「海」を、決して忘れないで下さい。君たちの青春の、喜びや哀しみを、そして希望を、毎日映し続けた、この萌多が丘から見た「海」を、心の中にいつまでも持ち続けて欲しいと思います。 歩くことに疲れたら、「海」を見なさい。歩くことに悩んだら、心の中の「海」に問いかけなさい。「海」を見ると云うことは、立ち止まって、自分自身を見つめると云うことです。「今の自分は、これでいいのか」と。「これからの自分は、どうあるべきなのか」と。心の中の「海」に向かって、自分自身を問い直しなさい。 そしてどんなに孤独で辛くなっても、「海」はどこまでもつながっている、ということ。ふるさとの「海」につながっていると云うことを信じればいい。 角力灘の夕陽は、もしかしたら、日本で一番美しい。その「海」を見ながら、この西彼杵高校で過ごした青春を、いつまでも「誇り」に思って歩き続けてほしいと思います。 いつも心に「海」を持っているということ。それが「おとな」への道を歩き続けると云うこと。 そして、いつも心の「海」に問いかけるということ。それが「生きる」ということ。人間が人間に成りつづけると云うことなのです。 君たちの未来に、幸多からんことを祈ります! 卒業 おめでとう!! |