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平成二十六年度 始業式 校長訓示 四月八日 今日から、それぞれが新しい学年に進級したところですが、心の準備は大丈夫ですか。覚悟はできましたか。春休みの間に、昨年度の振り返りは充分にできたでしょうか。新しい年度に向けた、新たな目標はもう決まりましたか。 西彼杵高校の生徒は非常に挨拶が素晴らしく、ボランティア活動も盛んな学校だと聞いています。他者を大切にする精神に富んだ生徒たちがたくさんいるという素晴らしい学校です。他者を大切にすることができるのは、自分自身を大切にしているからだと思います。3年生と同じように、自分なりの未来へ向けた「 志 」をしっかりと見つめ、日々学びに努力して、昨年よりも何倍も青年として成長して欲しいと思います。 さて、年度の冒頭に当たり、私は、皆さんに、次の詩を紹介したいと思います。茨城のり子という詩人の「自分の感受性くらい」という詩です。有名な詩なので、知っている人もいるかもしれません。 自分の感受性くらい 茨木のり子 ぱさぱさに乾いてゆく心を 私たち弱い人間は、自分がうまくいかない時は、すぐ誰かの、何かのせいにしてしまいがちです。人のせいにしたり、友人のせいにしたり、はたまた親や兄弟などの近親のせいにしたり・・・。最後には、暮らしや時代のせいにまでしてしまう・・・。しかし、そのようにいつも何かの、誰かのせいにしているということは、「わずかに光る(自分の)尊厳 」を放棄することに他ならないのだとこの詩人は言います。< 尊厳 >とは、ここでは自分自身の < 生きている価値>とか < 存在証明 > というほどの意味でしょう。自分がうまくいかないことを何かのせいにしてしまうことは、自分が自分であることを放棄することと、自らの存在を投げ出すことだというのです。では自分が自分であることの根本は、何かといえば、自分の心の感受性であるのだと。自分が自分であることの究極の存在証明は、自分自身の思想も含めた感受性であると詩人は言います。大変重たい言葉です。これほど自分自身を厳しく見つめる言葉はそう多くはありません。どうか、この一年は、自分自身の心としっかりと冷静に向き合って、自分自身の感受性を大切にして、自分なりの目標に向かって、自分なりの志を、みんなと力を合わせながら、日々研鑽して欲しいものと思います。この学校の先生方は、県下でも指折りの素晴らしい先生方ばかりです。分からないことや、辛い時には、先生方に相談してください。そしてこの年度の終わりには、一回りも二回りも成長した自分に出会いたいものです。 皆さんの健闘を祈ります。 平成二十六年四月八日 長崎県立西彼杵高等学校長 福 田 鉄 雄
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