佐世保中央高等学校夜間部
「人生の達人セミナー」



日時:平成21年11月18日(水)17:50〜18:50
講師:近藤 汪(ひろし)氏(75歳)
    写真家(JRP所属:日本リアリズム写真集団) 平戸市田平在住
     カフェレストラン「サウンド」経営
    約50年の写真家活動・HP「じいさんの独り言」写真ブログで活動

演題:「写真は私の言葉です」

 人生の達人などという器用なことは私にはできないです。私の遊び心が私の人生のほとんどです。「仕事のために遊ぶ」というのを今日は見たり聞いたりして下さい。写真といったら手軽なところで「写真=携帯」という状況になっているけれど、私の場合は写真が先か、カメラが先かという感じから写真との関係が始まった。写真はカメラがないと撮れないですよね。そのカメラが飛躍的に進歩しました。今まではフィルムでしたが、今ではデジタルがほとんど99%で、これで写し、コンピューターで見れる。
 そんな写真の中でどんな写真が一番よいのか?みなさん迷いますよね。私は「写真は記録」、「記録と伝達」だと考えている。いかにして写真を通して伝えるか?いかにして記録として残すか?今は携帯で写真を撮り、送信して友達に送って、または見るだけで消してしまう。なんでも使い捨てになっているが、なんでもそうでしょうが、カメラは特にそうなんですね。本当は大事なんですよ。その瞬間というのは、2度と撮れないんですから。一眼レフカメラも携帯も同じ価値があり、そう思わないんですね。すぐ撮れば又撮れると思っちゃうんですよ。案外同じものって撮れないんですよ。その瞬間というのは2度とないんです。そう思うと非常に貴重な物もあるんです。写真は大事にして欲しい。写真を撮るときは物事を見て感動するかしないか?何にも感動しない人は写真は撮れない。これはすごくきれいだな。素晴らしいな・・・というちょっとした感動。それと好奇心。どうしてこうなったんだろう?どんな姿をしているんだろう?というのも大事です。私の写真は、まあ普通写真というとほとんどが花とか風景が多いんですけど、それは一つの絵としてみるべきですね。そこに詩とか五・七・五の俳句でも書くとまた楽しい・・・という風なもので感性を磨くのに写真はいいです。
 写真は絵として見るものではない。写真というのは引き算です。俳句で言えば5・7・5のように無駄を省いていって撮りたい物、表現したい物を撮るのが写真なんです。絵は足し算です。描きたい物をどんどん描き込んでいく。俳句をする人は写真が上手。無駄を省いて表現している。感性を写真で表現できている。今はカメラも性能がよくなっていて誰が撮っても撮れるようになっているんです。あとは何をどう撮ればよいかということだけなんです。今はカメラも安くなっているし、技術もいらなくなっているんです。
 ただ技術はいらないけれども一番難しくなっているのはその人の感性をどう写真で表現できるかということなんです。そんないろんな理屈はまあ別にして、何を撮ろうかというジャンルだけなんです。それも別に分ける必要はないんです。人間を撮りたい人は撮ればいいし、風景を撮ってもいいし、花を撮ってもいいんです。ただ何年、何十年、何百年経ったときに記録に残したいという気持ち、記録に残るような写真・・・というのが写真的な価値があると思う。花はその時はきれいなんですけれども、その次には腕が上がって前の写真が見れなくなる、ところが街の風景とか人の生き様っていうのは違いますね、何年かたった後に「ああこんなことがあった」とか「ここはどこで撮ったとや?」とか状況説明ってやつがなければ写真はだめなんですね。普通写真ってやつは要らない物を省いていくってさっき言ったようにポートレートなんかは要らない物を省略して子細を発揮しますけども、スナップ写真ですね。街の中で目に付く物を撮っていく、そんなものはどこで、どんな状況がどこにあったかっていうことも大事なんです。だから写真には好奇心が一番要るんです。好奇心を持つことによって、感動があって、好奇心がわく、両方とも要るんですね。ここでお見せしたいのは一般的な物っていうと私は風景ですね。ほんとに身近な物ですけど、これなんか水滴です。
○<写真:水滴の中に街の風景が写っている>
葉っぱに付いている水滴ですね、なんでもないものが水滴の中に景色が写っていますね。
小さい物に感動を覚える。関心を持つというのも大事なことだと思うんです。
こんな物が写真の1ページ、こんなことから必ず、写真が始まるんだと思います。マクロレンズで見るとですね「ああきれーかね」となります。肉眼ではあまり関心を持って見ないもんですからね、ところが写真の素晴らしさはマクロレンズで見ると新鮮に見える。同じ物なんです、肉眼で見ても。それぐらい伝わり方が違って見える。これはやっぱレンズとか、カメラとか技術的なこととかがこういう表現を作り出し、表現させてくれるってことですね。
○<写真:花>
これは一滴の水滴。蔦葛の新芽に水滴が下がっている。今にも落ちそうな感じです。これが一般的にネイチャーフォトといい、写真を始める時には最初これから入る人がほとんどだと思います。誰にも文句を言われない、写真を撮っても相手に挨拶もしなくていいし、気楽な、今の、人間嫌いの人には非常に持ってこいの写真だと思います。それからどうしても写真っていうとネイチャーフォトっていうことから始まる。花とか風景とか人を撮るっていうのは非常に難しいんですね。やはり今コミュニケーションがないですから人に近づけないっていうかほんとはダメなんですけど、だから人間嫌いな人はスナップ写真とか、人物を撮れないですね。人間を好きになるということ、もちろん自然の写真は自然を好きになることが必要です。
(中略)
○<写真:蛇>
これはぞっとするでしょう?アオダイショウです。家は田舎ですからいろんなものがいるんです。蚊も蜂も蛇もいますのでね。これはアオダイショウが野ウサギを飲み込む寸前です。私はたまたまその時カメラを持っていて、でもちょっと遅かったんですけどね。アオダイショウってやつは蛇はみんなあごがはずれるんですね。大きい物、口に入りそうにない物、これはウサギですけど子供じゃありません。一瞬に口が大きくなるんです。これはまさに飲み込もうとするシーンですね。こういうようなシャッターチャンスというのは待っていても来ませんので、ただ私、庭を歩いていたらそれが目に付いたもんであわてて撮したんです。気持ち悪いと思いますか?それとも自然だと思いますか?こういう風なのが自然在来のいろんなものが動いているんですね。これも自然写真、要するにネーチャーフォトの一部なんですね。ただ、花とか風景とか、きれいなものだけがネイチャーフォトじゃないんですね。これが現実です。
(中略)
○<写真:船と人>
これはどう見るか分からないでしょうが、左側が生月大橋ですね。向こうが代船に乗せられた船です。今から遺体の収容をやるわけです。私の前にいる2人は自分の息子がこの船に乗って亡くなったんです。行方不明なんですね。ここにいるかもとまだ発見される直前なんです。この後1時間位してからわかりましたんですけどね。遺体があがったんですが、まだ1人だけ見つかってないんですね。その時の写真なんですけど、これを正面から撮ったら何もなりませんね。これは二人の姿が、私その前に会話するんですけど「もしかして身内の人が?」と話かけたら「実は自分の息子です」と「息子があそこにいるんです」「泳いでいけるなら行きたか」という話をしたんです。そんな状況を聞きながら後ろから撮ったんです。こんな場合はこの悲しみって言うのが正面から人の顔を撮らなくても充分表現できますね。写真というのは人を撮るから「顔をこっち向けて」とかいうんじゃなくて、後ろ姿でもいろんなものを表現する何かを思わせる。想像させるというのが写真なんです。そんなことを考えながら写真を撮るといいと思いますね。このときには取材班もNHKからもいろんなとこからも来ていたようで空にはヘリコプターが回って撮影していたんですけども、私がこの2人と話してるとこにNHKかなんかが来て撮っていたんですね。2人が遺族だと知ると取材合戦ですね。インタビューをはじめて、お父さんが「やかまし、だまっとけ」って怒りましたけどね。マスコミの取材というのは非常にしつこいとこがあるもんですからね。私にはいろんなことを話してくれたのにね。だから私も退散しました。人間を撮るというのはかなり注意しなければならない、というのも仕事だからというのもあるだろうけど何の為に撮るのかということもいろんなことがありますので、人のことを撮るのはかなり難しい。特にこういう現場の場合は難しいですね。
人物のスナップも難しいんです。
(中略)
○<写真:鳥>
私の好きな鳥です。私は元々動物写真を撮ったもんですから、この鳥知らないでしょう?
ウグイスですね。ウグイスってやつはほとんど姿を見せないんです。それを去年撮ったんですけど、撮るのに2ヶ月くらいかかりまして、毛の1本1本まで分かりますよね。これはデジタルカメラです。デジカメのよさはフィルムはデジタルにかないませんもんね。これは30年前の300ミリのレンズです。タムロンの300ミリというのがあったんですがデジタル化して使えないものですから、それを改造してあうようにして絞りがきかないから2,8のレンズに明かりを入れて絞りがきかないから開けっ放しで撮った写真ですからきかない深度が浅いんです。ピントがあってるようで、横ではあってないような状態。目に合わせるんで、オートフォーカスでは撮れない一枚一枚丁寧に撮った私にとって思い出の写真です。今の季節ですね、もうウグイスが来てますから・・・
(中略)
<写真:インド>
これは一昨年の写真です。これはニューデリーです。ニューデリーが首都でオールドデリーは昔ながらの街です。ニューデリーは高速道路などができているので工事が多いんですよ。お父ちゃんは働いてる。お母ちゃんは子供を連れて弁当を届けているんですね。なにしろ熱いので子供をこうして横に寝かして休んでいるです。これを15ミリの魚眼レンズ、180℃映るレンズで撮ったやつです。かなり近づかないと撮せないやつなんですね。
大変な国です。非常に格差が進み。発展するのはいいんです、ITはインドは世界一ですから子供達も頭がよくて、こうしていてもこの子達はまだ学校に行ってないでしょうが、昼間遊んでいても二部制で夜間部に行くんです。学校が足りないんですよ。そんな状況下で勉強しているんですが非常に勤勉なんですよ。それを見たとき私はインドは絶対よくなると思いました。
(中略)
○<写真:インド>
ここは外資系デパートで、外資系デパートはどんどん出来ているんですね。非常にこれは対照的ですね。こちらは超近代的、こっちは一世紀前のもの。ここに高速道路が出来ているんです。もう多分完成しているでしょう。これはオート三輪。これはインドで今でも働いているでしょう。地下街もこの下を通っているから外資系の力の導入を感じます。でも新しいものと古いものが同居している国なんです。これを見て遅れているとは当てはまらない、これが不思議なとこですね、日本人というのはどうしても表面を見て、遅れているとか、汚いとか、貧乏とか、金持ちとか判断してしまうけどインドは分かりません。行ってみて本当に金持ちなのか貧乏なのかわからないんです。これは私ははっきり言えることなんです。
(中略)
○<写真:インド>
これは上から魚眼で撮りました。
私はいつもインドに行くと民間に泊まるので隣の家のおじいちゃんが刺繍をしている様子です。この人はシーク教で、ヒンズー教と違ってターバンを巻くんですよ。髪は生まれて死ぬまで髪を切らない、ですから地面に付くほど髪が長いんです。でも時代なのか若い人には流行らないので若者がターバンをやめようじゃないかというんですよ。2年前に行ったときはデモ行進をしていました。何の行進かと思ったら、若者がターバンをやめようというものでした。お年寄りは今までのようにしているんですけどね。そんな私たちに分からないことが結構あるんですね。フランスでしたか?イスラム教の女性にサリーをかぶせないと言うのが法律で決まりましたよね。そんな紛争が起きるんですよ。
(中略)
こんなものでしょうか。私は写真のことしか知りませんが、終戦後の10月に平戸に米軍が上陸してきたんです。鬼畜米兵とたたき込まれてきたのに、敗戦後は民主主義はよい。と1年の間に状況が変化したんです。その時に武装解除をさせられ今でいう国宝級のものも全て没収されたんです。お宝拝見平戸版の募集があったけど全くでなかったんです。それはそういう事情からなんです。それほどに戦争や当時の朝鮮人差別・拷問を真の当たりにしてきたので、日本人の残酷さも知って欲しいと思う。経済大国といっても反省もしていない、アジアの発展が言われる中、今にしっぺ返しを受けるぞと思う。外国へ行くと勉強に真剣です。勉強してよかったと思うときが来るんです。金持ちじゃなくても何かをつかんで下さい。


【生徒感想文】
夜間部1−A 男子
今日の講演を聞いて、色々と参考になったこともあったし、写真の素晴らしさも感じました。自分はそこまで写真に興味はないですけど、今日の話しや写真などを見て、少し見方が変わりました!!1枚1枚にいろんな意味が込められていて、キレイでとても芸術だなと感じました。近藤さんのように1つの事に対して、真剣に取り組めているのを見ると、自分も頑張らないといけないな、なんて思ったりもします。
 今日の講演で1番印象に残っている写真は、ねこがすべり台に乗っている写真と、ヘビがウサギを食べていた写真です。あんな瞬間の写真を撮れるのはさすがだなと思いました。特にヘビの写真は、とてもじゃないと撮れない写真だと本当に思いました。短い時間ですけど、本当にためになったと思ってます。本当にありがとうございました。そしてまた講演できたらよろしくです。

夜間部2−C 女子
 「写真」と聞くと「思い出」や「楽しむもの」「残すもの」というイメージが自分の中にありました。近藤先生の講話の中で「次の世代に伝えていくもの」「写真の中の一時はもう二度と撮ることが出来ない一瞬の出来事だ」とおっしゃっていました。先生の写真にはいろんな気持ちが込められていました。葉っぱについている小さいしずくの中に映る風景にはびっくりしました。肉眼では見れない風景をカメラで撮れるってすごいなあと思いました。動物を撮っている写真も、動くものを撮るってとても難しいことだと思うし、同じ動きをしろなんていう言葉も動物には分からないから、本当にほんの一瞬の出来事をカメラにおさめることはすごいことだと思いました。写真にとても興味を持つことが出来てよかったです。とても勉強になった講演でした。

夜間部3−C 女子
 自分も携帯やデジカメに写真をたくさん撮っていて、「一瞬一瞬を残したい」と言われたこと、共感しました。近藤さんの写真を見て、人の後ろ姿や光の感じにすごく引き込まれました。自分は写真のこととか全くわからないけど、花や動物の写真を見て、深い意味でキレイだなあ、すごいなあと思いました。
 普段見ることの出来ない一瞬や、普通に生活していて素通りしているものなどたくさん見れておもしろかったし、とても貴重でした。写真は喋らないけど、悲しげだったり、幸せそうだったし、賑やかそうだったり静かそうだったり、色々伝わってきたし、声が聞こえてきそうな写真ばかりででした。プロっぽい写真もたくさんあったけど、ただシャッターを押しただけでも(普通の写真だけど)何か伝わってくる写真もあって、自分も写真を撮る時は、何か伝わる写真を撮ってみたいと思いました。