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「蛇の目寿司事件」って知っていますか?

(じゃ)の目寿司事件。これは、1965(昭和40)年に東京上野の蛇の目寿司という寿司屋で起きた事件です。二人のろう者が寿司屋で手話で話しをしていたところ、3人の客がじろじろ見ていました。二人のろう者は、見ないでほしいと頼みましたが、聞き入れてもらえず、ケンカになってしまいました。寿司屋の主人はろう者と顔見知りで、けんかを止めに入りましたが、主人はろう者から突き飛ばされ、頭を強く打ち、そのまま亡くなってしまいました。

そのろう者は傷害(しょうがい)致死(ちし)起訴(きそ)され、裁判(さいばん)になりました。その結果、懲役(ちょうえき)4年の刑となりました。当時は、法廷(ほうてい)では()告人(こくにん)のろう者に通訳がつけられましたが、決して公正な裁判ではありませんでしたし、手話通訳の不十分さなど様々な問題がありました。また、傍聴(ぼうちょう)のろう者には通訳が認められなかったそうです。被告人であるろう者の陳述(ちんじゅつ)内容と警察署・検察庁の調書(ちょうしょ)にはたくさんの食い違いもありました。

これを受けて、東京の若いろう者たちは「守る会」を設立し、被告人であるろう者の「知る権利」のために立ち上がりました。のちに、本格的にろう者の人権を守る動きが活発になり、翌年の1966年「ろうあ運動元年」から本格的に差別撤廃(てっぱい)運動が始まりました。また、手話通訳士の必要性も強く求められるようになりました。約40年前は手話を使うだけで(こう)()の目で見られていました。ろう学校の中でも、手話を使うことは禁止され、口話教育が注目されていました。事件が起こった昭和40年当時は、東京でも手話ができる人は10人もいなかったと言われています。

蛇の目寿司事件は、ろうあ運動の歴史の中で、みなさんにぜひ知っておいてもらいたい事件です。このような事件がきっかけで、聴覚障害者の人権を守る動きや手話通訳養成の取り組みが行われるようになりました。これからも、社会のできごとなどに関心を持ってほしいと思います。

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