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歴史上の人物の意外な関係

 
「ヘレン・ケラー」と「アニー・サリバン」、「グラハム・ベル」のお話

 みなさんは、「ヘレン・ケラー」と「アニー・サリバン」、「グラハム・ベル」という人を知っていますか?
 この三人の名前を聞いたことがある人、図書室で伝記(でんき)を読んだ人なども多いことでしょう。
 「ヘレン・ケラー」は、(おさな)い時の高熱(こうねつ)のため視力と聴力を(うしな)いながらも、家庭教師「アニー・サリバン先生」と共に必死(ひっし)に勉強し、大学まで進学しました。その後は、講演(こうえん)活動で世界中を(めぐ)り、その中で、昭和23年には長崎を訪問(ほうもん)しています。
 「グラハム・ベル」は、補聴器の研究や電話を発明(はつめい)した人ということで有名ですね。

昭和23年 ヘレンケラーが本校に来校されたとき
 では、この三人はどのような関係があるか、知っていますか?
 
 実は、「グラハム・ベル」は発明家というだけではなく、大学で「音声学(おんせいがく)」を(なま)び、ろう教育に尽力(じんりょく)したことでも有名で、アメリカのボストンにろう学校も開校(かいこう)しています。ベルのお父さんも、ろう教育に(たずさ)わっており、「視話(しわ)法」という発音訓練法を考えだしたことで知られています。1899年、ベルは本校に訪問し、本校の教育について指導したことがあるそうです。
 このようにろう教育に詳しかったので、ヘレン・ケラーの父親が娘の教育のことをグラハム・ベルに相談し、ベルが紹介(しょうかい)した家庭教師が「アニー・サリバン先生」だったのです。
 さらに、「アニー・サリバン先生」が、最初に「ヘレン・ケラー」の家を(おとず)れたのは、3月3日。
 また、「グラハム・ベル」の誕生日も、3月3日です。その日は、現在の日本では、「耳の日」にあたりますね。
 「グラハム・ベル」の妻も、実は聴覚障害者だったそうです。
 妻のために始めた補聴器の研究の過程(かてい)で、電話機が発明されたということも有名な話ですが、そのおかげで、今日の補聴器があるということになりますね。

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