長崎県立盲学校

最終更新日:2024/04/05

学校の概要

校長挨拶

ごあいさつ

長崎県立盲学校長 下田 勝美

長崎県立盲学校のホームページをご覧いただきありがとうございます。

校長として4年目を迎えました。今年度もよろしくお願いいたします。

本校は、県内唯一の視覚障害教育機関として、今年度創立126年目を迎えております。校庭には、ヘレン・ケラー女史ゆかりの月桂樹と永井隆博士ゆかりの桜の木が植樹されており、本校の幼児児童生徒を温かく見守っています。

また、本校には永井隆博士からいただいた詩に、世界的に著名な指揮者・作曲家の小林研一郎先生に、曲をつけていただいた愛唱歌があります。愛と平和が込められたこの愛唱歌を各学期のはじめと終わりに歌い継いでいます。このホームページでも紹介していますのでご覧ください。

今年度も本校の教育活動等について、学校ブログや公式YouTube チャンネル等で随時紹介をしていく予定ですので、楽しみにしていてください。

「一人一人が輝く学校」を目指し、幼児児童生徒の「自立と社会参加」実現に努め、保護者の皆様、地域の皆様に「信頼される学校」、「選ばれる学校」になるよう“チーム盲学校”として取り組んでまいりますので、皆様のご理解とご支援を賜りますようお願い申し上げます。

令和6年4月

経営方針
(令和6年度)

教育目標

幼児児童生徒の特性・実態に応じて、準ずる教育及び教育的ニーズに応じた指導・支援を行い、確かな学力の定着と専門的な知識・技能の習得を図るとともに、障害に伴う困難を改善克服し、新しい時代を生き抜く力と自己実現(自立と社会参加)できる力を育成する。

教育方針

  1. 第二期長崎県特別支援教育推進基本計画・第一次実施計画に基づく教育の推進と充実。
  2. 幼児児童生徒の個性を尊重し、豊かな心と志をもってたくましく生き抜く力の育成。
  3. 視覚障害教育の専門性を高め、個に応じた自立と社会参加を目指し、幼児児童生徒の能力を最大限に伸ばす指導の工夫と充実。
  4. 安全な教育環境と学びを支援する施設や設備の整備と充実。
  5. 家庭・地域・関係機関との連携を強化し、視覚障害教育センターの機能の更なる充実・拡充と効果的な発信。

目指す学校像

一人一人が輝く学校
可能性を最大限に伸ばす。
自立・社会参加への道を確立する。
保護者・地域の期待に応える。

目指す幼児児童生徒像

  • 夢や目標をもって挑戦する。
  • 自ら考えて行動する。
  • 積極的に人と関わる。
  • 社会に貢献できる。

目指す教職員像

  • 連携・協働できる。
  • 個別最適な学びを追求する。
  • 時代の変化に対応できる。
  • 地域・保護者から信頼される。

重点目標と方策

(1)地域・時代の教育的ニーズに対応できる教育体制の整備

  • 地域の教育資源の積極的活用。
  • ICT機器の有効活用のための環境及び機器の整備。
  • 積極的な情報発信。

(2)学力・体力の向上、キャリア教育・進路指導の充実

  • 主体的・対話的で深い学びの充実。(ICT機器の活用、授業改善)
  • 視覚障害スポーツへの取組。
  • キャリアパスポートの活用と進路先開拓。
  • 読書活動の推進。

(3)安全・安心を基本とした教育環境の整備拡充

  • 安全点検の実施。
  • 感染症予防対策の徹底。
  • 防災教育の充実。
  • 危機管理マニュアルの整備。

(4)学びの質を高める専門的指導力の向上

  • 校内研究への取組と各種研修会への派遣。
  • 自立活動の指導体制の確立。
  • OJT体制の整備。
  • 研究授業・授業研究会の計画的実施。

(5)地域の信頼を高めるセンター的機能の充実

  • 巡回教育相談の実施。
  • オンライン相談会の拡充。
  • 弱視学級への支援の充実。

(6)関わる力を育てる交流及び共同学習や対外的活動の推進

  • 地域の学校との交流及び共同学習の充実。
  • 校外学習の充実。
  • オンライン交流及び共同学習の充実と拡充。
  • 文化的活動の推進。

今年度(令和6年度)の努力目標

  1. 積極的に本校教育の情報発信に努めるとともに、地域・家庭・関係機関との連携の強化を図る。
  2. 一人一人の特性に応じたキャリア教育、進路指導の充実に努める。また、読書活動の推進と1人1台端末の効果的活用を推進する。
  3. 学校内外の安全対策を徹底し、幼児児童生徒が安全に安心して学べる環境整備に努めるとともに、危機管理意識の向上に努める。
  4. 校内外の研修会への参加を促進するとともに、研究授業・授業研究会、公開授業等を実施し、専門性及び指導力の向上を図る。
  5. 本校が担う視覚障害教育のセンター的機能について、積極的に情報発信を行うとともに、相談・支援方法の拡充に努める。
  6. 地域及び県外の盲学校との交流及び共同学習の充実と拡充に努める。

その他

(1)学校運営上基盤となる事項

学校・家庭・寄宿舎・地域・関係機関との連携、情報共有、協働体制の推進。

(2)継続した取組事項

働き方改革推進、風通しの良い職場環境の整備、PTA活動の活性。

学校評価
(令和5年度末に実施)

昨年度(令和4年度)課題等に対する今年度(令和5年度)の取組

(1)カリキュラム・マネジメントによる自校の課題共有

① 教科等横断的な指導の充実(学習の基盤となる資質・能力の育成、現代的な諸課題に対応する資質・能力の育成)
教科横断的な指導では、学習の基盤となる資質・能力(言語活用能力、情報活用能力、問題発見・解決能力)については、本校の児童生徒にとって非常に必要な能力なので、職員も児童生徒の実態に応じ、意識して指導を行ってきた。
② 教育課程の実施に必要な地域の人材の積極的な活用
今後は、児童生徒の実態に応じ、能力を最大限に発揮できるように、地域の教育資源人材等見直し活用していくようにする。
③ 個別の指導計画の実施状況の評価と改善
個別の指導計画では実施状況を評価し、十分に改善されているかどうか検証できていない。活用については、今後各部、教務部を中心により有効的な活用法について進めていきたい。

(2)専門性の維持向上

① 視覚障害教育の専門性向上と主体的・対話的で深い学びの実現
【専門性の維持向上】
○ 外部専門家活用事業による研修会の実施
外部専門家活用事業による研修会を実施。長崎大学病院 視能訓練士を招聘し、「見え方を補う工夫について」と「広視野探索を行う際の眼球運動等の視能訓練について」の視点で個別指導及び全体研修会を計5回にわたり実施した。
また、職員研修会では「ワーキングメモリに課題のある児童生徒の理解と指導」を実施した。
○ 高等学校・特別支援学校教育研究会盲教育部会による研修会等の実施
元広島大学院教育学研究科特別支援教育講座教授の牟田口辰己氏を招聘した。1事例研究授業を提供し、その授業について指導助言をいただき、今後の指導の参考にした。また、基本的な歩行指導の内容でもある「児童生徒の発達段階や特性等に応じた段階的な歩行指導について」講演会について実施した。どの研修会も今後、本校の児童生徒に対して本校教員が指導の手立てや教材の工夫等において専門性や実践力を高めていく機会になった。
② 校内外研修の充実
【校内研修】
各専門部が視覚障害教育の専門性の維持・向上を目指し職員研修を実施。(5回)
経年研を兼ねたものも含め研究授業の実施。(6回)
公開授業の実施。(20回)
※「主体的・対話的で深い学びの視点に立った授業改善と評価の在り方」の研究テーマのもと研究授業、公開研究を行った。
今年度は、本校で昨年度に引き続き九州地区盲学校間で、研究授業、授業研究を実施した。今回は中学国語科教諭が中学2年生の研究授業を実施した。今後職員の減少傾向である中、視覚障害教育に関する専門性の向上継承が校内だけでは限界があるため、次年度以降も継続していきたい。また他校においても実施していただけるよう校長会、教頭会においても引き続き促していき、九州地区盲学校全体で意識を高めていきたいと考えている。
【校外研修】
視覚障害教育関係の研修会、研究会を初め、その他研修会等について、今年度もリモートでの開催が多く、移動等がないため研修会等に多くの教員が参加することができて良かった。今後、研修会に参加した研修会の内容を全教員に還元できるような場の設定をしていきたい。

(3)開かれた学校

① PTA活動の活性化
今年度は親子ふれあいレクリエーション、PTA進路研修会を実施することができた。親子ふれあいレクリエーションについては、「もちつき」を地域のシニアクラブの方々にも協力していただきつながりができた。また、PTA進路研修会では、長崎県出身で現在障害者雇用コンサルタントとして活動されている視覚障害当事者でもある、初瀬 勇輔氏に「夢をもち、前向きに行こう」テーマで講演していただいた。児童生徒保護者聴くことができた。
② ホームページ等による外部発信の充実
ホームページは、教務部を中心とし実施した。本校の取組等、広く世間の人たちへ見ていただき、本校のことを知っていただけるようにホームページの更新を頻繁に行った。
③ 交流及び共同学習の充実
近隣の学校と交流及び共同学習ができた。また、今年度においても小中学部において他県の盲学校とオンラインにて交流及び共同学習を実施することができた。中学部は修学旅行の際、熊本盲学校の生徒と交流を行った。
④ 専攻科生徒の外部実習活動について
県庁や高齢者施設で外部実習を実施した。県庁では今年度初めて実施し、3回実施することができた。高齢者施設での実習はコロナウイルス感染症の影響で4年ぶり実施することができた。
⑤ 報道関係を通じた外部への発信
今年度より広く本校のことを知っていただくために、テレビや新聞などの報道関係を通じて発信することができた。

(4)教育環境の整備

① 安全かつ安心できる環境強化
管理職による教室や廊下の危険箇所等の点検や校舎周りの巡視を行った。
指導中の大きなけがや事故等なく安全に学校生活を送ることができた。
服務規律の取組としての職朝や職員会議等で職員に他校の事例を管理職から伝え、児童生徒に対する体罰や不適切な指導が行われないように、日ごろより意識した指導に当たることができるように心掛けた。
② 潤いのある環境整備(校内表示、掲示物の工夫、施設の整備、ICT環境の整備等)
古くなり危険な状況の床面については張替えや補修等行い対応した。
外部からの出入りが多い玄関付近やA棟の廊下は、毎日事務職員により清掃を行った。
今年度は、鶴南時津分校が来年度から本校化へ向け工事が行われ、敷地内の通学路、通勤路が通行できなくなったので、安全確保のため点字ブロックの設置や教員の立哨によって対応した。

今年度(令和5年度)の学校評価アンケート結果

(1)総合評価

  1. 「保護者」の全評価平均値は3.5で、昨年度と同ポイントであった。全項目について3.2を上回っている。4段階評価で平均値3.5ポイントと高い数値の中でのほとんどが0.1~0.2ポイントの上下差で本校学校運営における一定の理解を得ていると推察する。
  2. 「教職員」の全評価平均値は3.3で、昨年度と同数値である。全項目において3.1以上のポイントとなっており、教職員においても本校学校運営を理解していると推測する。

(2)保護者アンケート評価

  1. 「教育活動」の項目では、番号9「学校は幼児児童生徒の将来を見通した進路指導をしたり、情報提供をしたりしている」は、3名2の評価に付けている。この評価をもとに来年度以降小学部から早い段階での進路について児童生徒及び保護者への対応等を行っていきたい。番号15「学校では、児童生徒の事故防止のための配慮や指導がなされている。」は、3.2ポイントとそれほど低い数値ではないが、この項目の中では最も低いポイントとなっている。今後とも児童生徒の実態をしっかり把握し、引き続き安全面に配慮し指導に当たるようにする。また、ヒヤリハット等がある場合はすぐに全教職員と事案を共有し、事件事故につながらないようにする。
  2. 「教育環境」の項目では、全体的にそれほどポイントは低くなく平均でも3.4である。今年度においても、特に大きな事件事故等なく良かった。あと、今年度12月から分校が来年度新校舎増築へ向け工事が始まった。それにより南門からの登校下校の通路を変更した。安全確保のため職員の協力を得ながら見守りを3月まで行った。安全に登下校することができた。
  3. 「開かれた学校」の項目では、全体的にポイントが高い。特に番号24「学校行事や授業参観などにより、保護者が来校しやすい機会を設けている」では、3.9と最高ポイント数を示している。新型コロナウイルス感染症の類型が引き下げられ、以前に近い状況に学校行事等の活動が戻った。それにより参加する保護者もだいぶ増えたことが考えられる。来年度以降も「開かれた学校」を目指して学校、保護者、地域共に教育活動を進めていきたい。

(3)教職員アンケート評価

  1. 「教育活動」の項目では、番号7「進路や福祉に関する情報を提供し、幼児児童生徒の社会参加や自立をめざした進路指導をしている。」、番号8「社会生活に必要な挨拶やマナー・ルールが身に付く指導をしている。」、番号13「視覚障害教育についての専門的な知識や指導技術を身に付けている。」は、ポイントも3.1、3.2とこの中では低い数値を示しており、かつ、2の評価に5名の職員数が示されている。また、「組織運営」の項目で、番号21「教職員は指導力や専門性向上のために、各種の研修会に自主的に取り組んでいる。」でも、同様に2の評価に6名の職員数が示されている。これらの項目結果を踏まえ、視覚障害の児童生徒に対しての実態把握や指導に不安を感じていると推察される。校内研修の充実や校外での研修や研究大会への積極的な参加を促したり、教員間でのOJTの活性化をより進めてたりしていくことで、視覚障害教育における実態把握や指導の専門性向上の充実を図り必要がある。
  2. 「教育環境」の項目で、番号24「学校は施設・設備を整えている。」は、この項目の中では3.1と低い数値を示しており、かつ、2の評価に3名の職員数が示されている。職員から危険箇所等の意見をいただいている。「床等の補修」については、事務と相談し、できるところから対応していく。
  3. 「開かれた学校」の項目で、番号30「学校間交流や地域と交流する活動が十分に行われている。」は3.2ポイントで昨年度と同じポイントではあるが、項目の中では一番低い項目である。新型コロナウイルス感染症の類型が下げられ行動制限はなくなったが、必要に応じた実施機会や内容等については各部で検討し、より効果的な教育活動を検討する。他県の複数の盲学校ともオンラインにて特に小中学部は実施している。今後とも継続し実施していく。

今年度(令和5年度)評価からの課題

(1)カリキュラム・マネジメントによる自校の課題共有

  1. 教科等横断的な指導の充実(学習の基盤となる資質・能力の育成、現代的な諸課題に対応する資質・能力の育成)。
  2. 教育課程の実施に必要な地域の教育資源の積極的な活用。
  3. 個別の指導計画の実施状況の評価と改善。

(2)専門性の維持向上継承

  1. 教科及び自立活動において、視覚障害教育指導の維持向上継承と、主体的・対話的で深い学びの実現を意識した指導の充実。
  2. 校外研修会等の積極的な参加及び校内研修、研究の充実。
  3. 外部講師の招聘による研修会等の実施。

(3)開かれた学校

  1. PTA活動の活性化や地域の教育資源を活用した授業の充実。
  2. ホームページ、YouTube等や報道関係を通した外部発信の充実、市町教育委員会等の関係機関等への訪問による理解啓発の継続。
  3. 交流及び共同学習の充実(オンライン交流及び共同学習も含む)

(4)教育環境の整備

  1. 安全かつ安心できる環境強化(防災教育の充実、危機管理マニュアルの整備等)。
  2. 潤いのある環境整備(校内表示、掲示物の工夫、施設整備、ICT環境の整備等)。

校章・校歌・愛唱歌

校章

六つ星の6つの角が点字の6点を表し、「まなび」の文字を囲んでいる

校歌

校歌
作詞: 今井 秀雄
作曲: 北原 恭平
1番 歌詞
天つみ空の うつしき光
常に我等を 育みてらし
手にする文の 六つ星のかげ
常に我等を 啓きみちびく
ああ幸ある身 よろこびみちて
学びの庭に 集い睦ばん
2番 歌詞
あかつきつぐる わが日の本の
文化の光 輝き出でし
誉れ名だたる 鶴の港の
我が学び舎の 歴史尊し
ああ幸ある身 集い睦びて
学びの窓に 勉め励まん
3番 歌詞
瓊の浦曲の 水清らけく
稲佐の松の 緑は深し
清く貞しく 雄々しく伸びん
我等が前途 希望栄あり
ああ幸ある身 勉め励みて
学びの道を 進みきわめん

愛唱歌

永井隆博士から送られた詩に曲を付けていただき、今もなお全校幼児児童生徒で歌っている愛唱歌です。

※ 永井隆博士: 長崎医科大学教授であり、随筆『長崎の鐘』でも有名。

永井隆博士から送られた詩の原文
愛のうた
作詞: 永井 隆
作曲: 小林 研一郎
1番 歌詞
いつも明るい 心の青空
かがやく愛の 愛の光よ
いのち尊く わたしは生きて
あたたかい 愛の 愛のわざを
わたしは生きる 人のために
わたしは生きる 世のために
わたしは わたしは 生きる
2番 歌詞
いつも明るい 心の花園
さえずる 愛の 愛の小鳥よ
いのち尊く わたしは生きて
ほがらかな 愛の 愛のうたを
わたしは生きる 人のために
わたしは生きる 世のために
わたしは わたしは 生きる

この曲の詩は、昭和25年5月3日に行われた本校浦上校舎の落成祝賀会に寄せて、随筆『長崎の鐘』で有名な長崎医科大学教授であった永井隆博士から、心温まる言葉と共に贈られたものです。

当時本校は長崎市上野町(現在の中国総領事館)にあり、永井博士は同じ町の住人として、常に本校の児童生徒を見守ってくださっていました。

また博士は、昭和24年に7名の児童生徒がお見舞いに如己(にょこ)堂を訪問したお礼として、桜の苗木50本を贈ってくださいました。本校が、現在地(時津町)に移転する際に移植できませんでしたが、平成23年2月に、長崎如己(にょこ)の会から「永井千本桜」2世の苗木を4本いただき、正門近くに植樹しました。このときのご縁で、長崎如己(にょこ)の会の方にご尽力いただき、世界的に著名な指揮者・作曲家の小林研一郎先生に、曲をつけていただけることになりました。曲名は、詩の内容から児童生徒職員全員で考え決めました。

本校の愛唱歌ですが、永井隆博士の詩には、愛と平和が込められています。また、小林研一郎先生のメロディは、多くの皆さんに希望と勇気を与えるものです。これから先、本発表会の感激と感謝の気持ちを胸に、歌い継いでいきたいと思っています。

学校の歴史

明治時代

明治31(1898)年
安中半三郎氏を中心とする民間団体「長崎慈善会」により、「長崎盲唖院」が創立。
明治31(1898)年9月12日
野村惣四郎氏の居宅(市内興善町)の一部を仮校舎として開院。以後、授業が開始されたこの日が開校記念日となった。
※ 野村惣四郎氏:自らも視覚障害者であり、安中氏に盲唖院設立を相談。
開院時の生徒数は13名。京都以西では、2番目に設置された盲聾教育機関となる。
明治31(1898)年11月28日
電話発明者として有名なA・G・ベル博士が来院。教員及び生徒に対して手話演説を行った。
明治41(1908)年
2度の移転を経て、最終的には市内桜馬場町に新校舎が落成し落ち着くこととなった。
※ 九州初の盲聾教育機関として、開院以来、九州全域及び愛媛・広島からの生徒の入校もあり、生徒数は年々増え続けた。そのため、校舎が手狭になり2度の移転を余儀なくされた。
明治33(1900)年
校名が「私立長崎盲唖学校」に改称。
明治45(1912)年
九州各地に相次いで開設された盲唖学校の中核的存在として、第1回西部盲唖教育協議会を開催。
九州地区の盲・聾教育の研究、実践に大きな役割を果たす。

大正時代

大正8(1919)年
校名が「長崎盲唖学校」に改称。
大正13(1924)年7月12日
「盲唖学校及聾学校令」が大正12(1923)年に公布されたのに伴い、盲・聾教育の組織分離がなされ、「長崎盲学校」及び「長崎聾唖学校」の両校が開設。
※ この法令により、普通教育と職業教育の分離化及びその指導充実が明確にうたわれた。それを受け、本校においても指導充実が図られるようになり、修業年限も初等部6年、中等部鍼按科及び音楽科4年、別科按摩専修科2年となった。
大正15(1926)年
西部盲唖教育協議会を引き継いだ九州盲唖教育研究会の第1回が本校で開催。

昭和時代(戦前)

昭和4(1929)年4月1日
県に移管され、現在の校名である「長崎県立盲学校」となった。
※ 「盲学校及聾学校令」及び「公立私立盲学校及聾学校規定」により、国内各地の私立学校は次第に県立学校に移管されていった。
昭和9(1934)年
浦上天主堂に近接する上野町(後の橋口町)に移転。
※ 当時の盲学校では、最新の設備を有する鉄筋コンクリート造3階建ての新校舎であった。
昭和12(1937)年5月29日
浦上校舎にヘレン・ケラー女史が来校。記念として月桂樹を手植えされた。
※ 残念ながら、この月桂樹は原爆投下により焼失し、今は玄関横に女史ゆかりの校樹として若木が植えられている。
昭和17(1942)年
昭和12年から勃発した日中戦争により、国内が戦時体制につつまれていく中、本校の学友会も報国団と改組し、生徒は勤労奉仕や慰問治療等に動員された。
昭和20(1945)年2月
戦争末期には校舎を三菱長崎造船所に貸与。学校は長崎市近郊の長与村(現、長与町)に疎開移転。
昭和20(1945)年8月9日
原爆投下。夏休みで市内に帰省していた生徒4名と長崎出張中であった多比良校長が被爆して亡くなり、浦上校舎も直撃を受け壊滅的な被害を蒙った。

昭和時代(戦後)

昭和23(1948)年4月
「中学校の就学義務並びに盲学校及び聾学校の就学義務及び設置義務に関する政令」が公布され、永年の要望であった義務制が実現。
※ これにより、修業年限は小学部6年、中学部3年、高等部本科3年、専攻科2年、別科2年となった。
昭和23(1948)年5月
長与村の仮校舎が手狭になったため、大村市に移転し、再び盲・聾学校併設となった。
昭和23(1948)年11月
盲・聾学校の合同で式典を実施。(両校の創立50周年)
昭和24(1949)年8月
原爆で損壊した旧浦上校舎跡地に、寄宿舎並びに外来治療室が完成。
聾学校と再び分離し、この施設を仮校舎として授業が再開。
昭和25(1950)年3月
木造二階建ての復旧校舎も落成。
昭和25(1950)年5月
落成祝賀会が催された。この祝賀会によせて「長崎の鐘」で有名な長崎医科大学の永井隆博士より、お祝いの色紙が心温まる言葉とともに送られている。
また、博士のお見舞いに生徒が訪問した返礼として、桜の苗木50本も寄贈され、校庭や運動場に植樹された。
※ この桜木は校舎移転時に移植できず、現在は跡地で毎春花を咲かせている。
昭和25(1950)年11月
大阪府立盲学校から牧野定治氏が校長として着任。以後17年間にわたり、本校教育の振興に力を尽くした。
この間、厚生省所管の児童生徒収容施設である啓明寮の設置、就学奨励費の制度化、図書館開設と点訳活動による教材の充実化等が図られ、次第に教育条件が整備されていった。
昭和35(1960)年
在籍する児童生徒の数も増加し、227名と最高に達した。
盲人野球・相撲・柔道・盲人バレーボール・器械体操の体育系活動及び演劇・弁論・マンドリン・点字・珠算・邦楽・吹奏楽などの文化系活動の部活動も盛んで、各種大会で優秀な成績を残している。
昭和30年代半ば頃から、生徒会主催で老人ホームに出かけての治療奉仕が始まり、現在に引き継がれている。
昭和44(1969)年
小学部及び中学部に各1学級ずつ重複学級が設置され、視覚障害と併せて他の障害がある児童生徒にも学習の場が保障されるようになった。
昭和48(1973)年
文部省による盲学校の学科改編を受けて、高等部本科に普通科、保健理療科を設置。
5年課程の理療科及び2年課程の別科の生徒募集を停止。
昭和50(1975)年
児童生徒数の増加と復旧浦上校舎の老朽化にともない、長崎市に隣接する時津町に校舎・寄宿舎が新築され移転。
修業年限1年の幼稚部も開設された。(昭和57年度から3年に延長)
昭和53(1978)年
盲教育100周年記念として、全日本盲学校教育研究大会が長崎で開催。
本校は主管校として、大会の準備・運営に尽力した。
昭和57(1982)年
高等部の重複学級設置も正式に認められた。
昭和63(1988)年
啓明寮が廃止されたのに伴い、自宅通学生を対象にスクールバスも運行されるようになった。

平成時代

平成4(1992)年2月
文部省・県教育委員会指定による「心身障害児適性就学推進研究校」として研究発表会を開催。
平成6(1994)年
学科改編を行い、高等部専攻科に保健理療科を設置。本科保健理療科の募集を停止した。
※ 平成2(1990)年4月に施行された「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律の一部を改正する法律」を受けての学科改編。
平成8(1996)年
県教育委員会指定による「養護・訓練」の研究発表会を開催。
児童生徒数の減少化及び児童生徒個々の実態の多様化に対応すべく、本校の啓発活動を推進するとともに、個に応じた指導力の向上が求められた。
平成10(1998)年11月
創立100周年記念式典を挙行。
記念誌発行・記念碑建立を行うとともに、生徒会主催の記念文化祭、上海市盲童学校音楽団を迎えての記念コンサートも開催。
11月下旬には、記念事業の一環として高等部で初めての中国修学旅行を実施。旅行の途中、上海市盲童学校を訪問して交流を深めた。
平成18(2006)年4月
盲学校の小学部棟を改築し、長崎市内の南部にある県立鶴南養護学校小学部の分教室が開設された。
※ 長崎市北部やその北にある時津町・長与町・西海市に住んでいる鶴南養護学校の小学部児童は、長崎市内をスクールバスで縦断して通うのに2時間近くかかっていたが、分教室開設後は通学がずいぶん便利になった。
平成23(2011)年2月16日
長崎如己(にょこ)の会から「永井千本桜」2世の苗木を4本いただき、正門近くに植樹した。
平成23(2011)年8月18~19日
全国盲学校野球(グランドソフトボール)大会を本校が主管校となり、時津町のとぎつ海と緑の運動公園で開催。
※ 本校は暑い中健闘しましたが予選で敗退。
平成23(2011)年12月14日
盲学校愛唱歌『愛のうた』発表会を開催。作曲者でもある小林研一郎氏が来校され、直接指導していただいた。
平成24(2012)年4月10日
鶴南特別支援学校時津分教室中学部が開設。
平成26(2014)年3月28日
理療科棟改修工事が完了し、高等部棟へと名称変更。
平成27(2015)年4月7日
鶴南特別支援学校時津分校が開校。(高等部が開設)
平成28(2016)年3月11日
厨房増築内部改修工事が完了
平成30(2018)年3月
新実習棟が新築され、4月からはC棟及びD棟へと名称変更。それに伴い、管理棟はA棟、高等部棟はB棟へと名称変更。
※ C棟1階には視覚支援センター「むつぼし」が併設。
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