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長崎県立ろう学校校歌 作詞 井上信一 作曲 樋渡憲三 1 鶴の港に 生まれたる 伝統誇る わが母校 琴の 真理の道を 歩むなり 学ぶわれらよ いそしみて 2 多良の山並み 仰ぎみて 心を込めて 豊かな心 強き意志 ともに進まん 手をつなぎ 励むわれらよ たゆみなく 3 琴平岳に こだまする 明るき声の どこまでも 言葉を学び 智を深め 技術の腕を 磨くなり 伸びるわれらよ たくましく |
[校章の由来] |
昭和26年4月の佐世保分校開校を機に、校章制定の気運が高まり、公募の結果、当時本校職員山口貞成氏発案のデザインが採用された。この案は、本校発祥の地である長崎市を象徴する鶴をイメージした絵に、「長ろう」の字体を組み合わせてデザインしてある。その後、この校章を中央に織り込んだ校旗が作られた。 以後約50年間、例えば体育館の緞帳や学校要覧の表紙等にこのデザインが使われてきた。ただ、織りや印刷の関係でデザインの一部が変形したり、使用目的によって意図的に一部を変更する場合もあった。創立100周年を機に新調した校旗や応援旗も、旗全体のバランスを考慮して「ろ」の字体に若干の丸みを持たせている。 |
[校歌制定の経過] |
本校には校歌といわれるものはあったが、詩のみで曲はついていないこともあり、正式な校歌とはなっていなかった。 そこで、創立100周年を機に正式な校歌を作ろうという動きが学校内外に高まり、校内では校旗校歌部会、外郭団体では、老松会を中心に検討を重ねた。老松会では元校長井上信一氏が詞を、元校長竹尾悟氏が曲を作成する世話係として尽力された。出来上がった詞や曲の案をそれぞれの専門家に見ていただいたりして、平成10年9月に完成した。最終的な作詞者は前述の井上信一氏、作曲は当時県立奈留高等学校長であった樋渡憲三氏である。樋渡氏は音楽(特に声楽)の専門家でもあり、県内数校の校歌の作曲を手がけておられる。 詞は1番に長崎に生まれ大村に育った伝統を、2番目に校訓を、3番に各部の努力目標をそれぞれ詠み込んである。 |